日本中から愛されている紀子(きこ)さま。
その凛とした美しさと品格は、現在も変わらず多くの人々を魅了していますが、昔の紀子さまもまた、若々しくかわいらしい姿が注目を集めていました。
本記事では、かわいい紀子さまの小学生時代から50代の現在に至るまでの貴重な画像を振り返りながら、紀子さまの生い立ちや学歴、秋篠宮さまと結婚されるまでの歩みをご紹介します。
昔の紀子さまのかわいさや、知られざるエピソードに触れながら、その魅力を存分に堪能していただければ幸いです。
目次
かわいい紀子さまの昔の画像
紀子さまは、秋篠宮さまの妃として、優雅で気品あふれる姿がいつも注目の的。
現在の上品で落ち着いた雰囲気も魅力的ですが、若い頃の紀子さまにはまた違った輝きもあります。
可憐でありながらも元気溢れる活発さを感じさせる紀子さまの姿は、今も昔も多くの人々を虜にしてきました。
若い頃の写真を見てみると、当時のメイクやファッションは今とは異なるのに、どれも「可愛い!」と声を上げたくなるものばかり。
その魅力が時代を超えて人々の心を掴む理由がよくわかります。
今回はそんな紀子さまの若き日の素敵な瞬間を年代別に振り返ります。
当時の雰囲気が感じられる写真やエピソードを通して、紀子さまの魅力を改めて堪能してみてください!本当にめっちゃ可愛いです!
小学生時代(アメリカとオーストラリア在住)
この頃は父親の仕事の都合で、海外生活をしていた時期でしょうか。
かわいい紀子さまは、この時点で幼いながらも既にお顔が整っていることが分かりますね!
10代(学習院女子中等科)
日本に戻ってきて学習院に編入した頃です。可憐な姿はまるでアイドルのようです。超かわいい。
10代(学習院女子高等科)
学習院中等部から学習院高等部へ進学。楽しそうな高校生ライフを送っている様子が伝わってきます。
笑顔がとってもかわいい紀子さま。
20代前半(学習院大学)
こちらは学習院大学1年生の頃。韓国旅行をした時の写真です。
もはやアイドルの写真集みたいでかわいいです。
大学ではテニスをして活発に過ごされていたそうです。
この学習院大学生活の中で、秋篠宮さまと出会います。
20代半ば(結婚・第一子と第二子出産)
超かわいい紀子さま。
この頃の画像なんか、本当にアイドルといわれても間違えるくらい超かわいいです。
筆者は特に下記の画像がお気に入りです。可愛すぎます。
生まれも育ちも良いし、いい家柄の子でしかも超かわいいとあって、結婚の報道が出たときは祝福モードでした。
ご結婚
顔がかわいいだけでなく、スタイルも抜群。細身の秋篠宮さまとお似合いでとっても素敵。
どんなお色のお召し物も似合っていて、見ていて飽きないです。
第一子ご出産
第一子の眞子さま誕生の日には、秋篠宮さまは公務の日でした。オランダ女王が来日しており、そのもてなし等対応をされていました。
しかし、秋篠宮さまは終始ソワソワしていたそうで…笑
気になったオランダ女王が尋ねると、紀子さまが出産予定日だとわかり、早めに切り上げてくださったそうです。
そのまま秋篠宮さまは病院へ行き、待合室で待っていたとか。心配で心配で、そして楽しみでたまらなかったのでしょうね!
出産後とは思えないくらい綺麗でかわいい紀子さま。
無事にご出産されて、元気なお姿をメディアの前に見せてくれました。
公務も順調にこなされています。秋篠宮さまの隣に寄り添い、素敵な笑顔を見せてくれています。
第二子ご出産
第二子・佳子さまのご出産時の写真です。相変わらず、かわいい紀子さま。
無事に出産が終わり、幸せそうなご様子です。
テープカット失敗
紀子さまといえば、テープカットが苦手なことで有名ですよね。笑
当時の画像も残っていました。お茶目でかわいいです。
また別の式典で、テープカットをすることもありましたが、また失敗していらっしゃいましたね。笑
良い年の重ね方をされており、品の良さが年々増していく様子が分かります。
何かの爬虫類を持ってますね。秋篠宮さまから「やってみる?」的なお声がけがあり、それに応じて紀子さまが触ってみた瞬間です。
紀子さまは感嘆の声を上げ、大変楽しんでいたご様子で、周囲は和やかムードに包まれました。
リアクションすらかわいい紀子さまでした。
30代半ば(第三子出産)
紀子さまは、39歳で第三子・悠仁さまをご出産。ついに男の子の誕生です。
3人も出産されているのに、本当に綺麗です。
40代前半(研究活動再開)
40代前半の頃に、御茶ノ水女子大学で研究活動を再開されています。日本学術振興会の名誉特別研究員にも任命されました。
子育てに仕事にバリバリと活躍していて、カッコよさも感じられます。
眞子さま、佳子さまもすっかり大きくなってきて、成長を感じます。
50代(現在)
そして現在に至ります。可憐でかわいい紀子さまから、知的でかっこいい紀子さままで。
一気に昔の画像をご紹介してみました。
かわいい紀子さまはどんな女性なのか
紀子さまは、若いころの可愛らしさが今なお語り継がれていますが、現在もその魅力は健在です。
幼少期を海外で過ごした経験から、英語やドイツ語を日常会話レベルで操る紀子さま。
これは国際舞台での活動にも大きな強みとなり、公務をよりスムーズに、そして効果的にこなすための基盤となっています。
その成果は多くの場面で見られ、特に2018年に開催された「肺の健康世界会議」では、国際的な称号である「国際結核肺疾患予防連合の名誉会員」を授与されています。
秋篠宮さまとご結婚
出典:NHK
1990年6月29日、紀子さまと秋篠宮さまの結婚が執り行われ、同日午後3時からは「朝見の儀」が行われました。
紀子さまは、この日から正式に皇室の一員として迎え入れられることとなりました。
小室眞子さん・佳子内親王・悠仁親王をもうける
紀子さまは秋篠宮さまとご結婚後、3人のお子さまに恵まれています。
まず、1991年に誕生されたのが長女の眞子さまです。
眞子さまは、2021年に小室圭さんとご結婚され、現在は皇籍を離れて一般市民としての生活を送られています。
結婚前は内親王として皇室の公務に従事し、その知的で穏やかな振る舞いが多くの人々に愛されていました。
次に、1994年生まれの次女・佳子さま。
佳子さまは現在も皇室に属し、公務を通じて国内外で幅広い活動をされています。
眞子さまが担当されていた公務や役職を引き継ぎ、皇族としての責務を立派に果たしておられます。容姿端麗でも有名ですよね。
そして、2006年に誕生されたのが長男の悠仁親王です。悠仁さまは、紀子さまにとって唯一の男子として皇室の未来を担う存在。
現在は学生として学業に励まれる日々を送りつつも、皇族としての使命に向けた準備を少しずつ進めておられるようです。
檜扇菖蒲(ひおうぎあやめ)のお印
皇族の方々には、それぞれに特別なお印が定められています。
皇族が個人の品々に用いる象徴として存在し、その方を表すシンボルとしての役割を果たすものです。
紀子さまのお印は「檜扇菖蒲(ひおうぎあやめ)」という多年草です。
この植物は、扇形に広がる葉が、平安時代の宮中で使われた檜扇に似ていることからその名がつけられました。
鮮やかな花を咲かせる檜扇菖蒲は、その優雅さと気品が紀子さまの印象とも重なっており、とても素敵です。
かわいい紀子さまの昔!どんなお育ち?生い立ち紹介
紀子さまはいったいどんな生い立ちだったのでしょうか。
静岡県出身、幼少期は海外生活
紀子さまは1966年9月11日、静岡県静岡市で生まれました。
現在は皇室の一員として国民に親しまれていますが、その生い立ちは一般家庭に生まれ育った普通の女性として始まりました。
元々は「川嶋紀子」という名前で、両親ともに皇族に関連する職業に就いていたわけではありません。
唯一特徴的だったのは、父親の仕事の都合で転勤が多かったことです。
父・川嶋辰彦さん、母・川嶋和代さんの間に長女として生まれた紀子さまは、生まれてすぐに父親がペンシルベニア大学院に留学することが決まり、家族全員で渡米することになったのです。
紀子さまの幼少期は海外で過ごすことが多かったようです。
父親・川嶋辰彦は経済学者
紀子さまの生い立ちを語る上で、重要な存在がご両親、特にお父様である川嶋辰彦さんです。川嶋辰彦さんは、日本の経済学者として高い評価を受けており、また国土交通省の専門委員を務めるなど、社会的にも大きな影響力を持つ人物でした。
川嶋辰彦氏は優れた学歴を持ち、留学経験も豊富。海外の大学に研究員として就任するなど、国際的な活躍をしていました。
そのため、紀子さまは幼少期に何度も転校を経験することになりました。
日本帰国後は、学習院大学で名誉教授の地位を得るまでに至り、その学問的功績を重ねていった凄い方です。
紀子さまは一般家庭ご出身とはいえ、非常にステータスの高い立派な家のご出身だったのですね。
かわいい紀子さまの昔!秋篠宮さまとの馴れ初め
美男美女、お似合いのご夫婦はいったいどうやって出会い、結ばれたのでしょうか
学習院在学中の出会い
紀子さまと秋篠宮さまの出会いは、学習院大学在学中でした。
当時、紀子さまは心理学科に在籍されており、秋篠宮さまは法学部で学ばれていました。
二人が初めて顔を合わせたのは、大学構内の書店だったといわれています。運命的な偶然の出会いだったのですね。
その後、二人はサークル活動などを通じて親交を深めていきました。
紀子さまは早い段階から宮中にも招かれ、秋篠宮さまのご家族とも交流を重ねていたそうです。
家族ぐるみの関係が築かれ、テニスを楽しんだり、食事を共にしたりすることで、絆をより深めていったとされています。
周りの方々にも認められながら、在学中にゆっくりと愛を育んできたのですね。
3LDKのプリンセス?
紀子さまと秋篠宮さまのご縁が結ばれ、結婚が話題となった当時「3LDKのプリンセス」というユニークな呼び名で親しまれていました。
当時、紀子さまは学習院大学の教職員用共同住宅にお住まいでした。
この住宅は一般的な3LDKの間取りで、華やかな皇室のイメージとは一線を画すシンプルな生活環境です。
そのギャップにマスコミは注目し、紀子さまを「現代のシンデレラ」として大々的に報じました。
一般家庭から皇室に嫁がれるという大きな転機を迎えた紀子さま。
「3LDKのプリンセス」という言葉は、紀子さまの親しみやすさや庶民的な魅力を象徴するものとして、当時多くの人々の心に響いたようです。
かわいい紀子さまの昔!学歴について
上述した通り、紀子さまは1966年9月11日、静岡県静岡市駿河区にてお生まれになりました。
その後の生い立ちや進学先は、数々の転校や海外生活を含む国際的で多彩なものでした。
海外の小学校を転々
幼少期にお父さま、川嶋辰彦氏がペンシルベニア大学大学院へ留学されたことを機に、一家はアメリカに移住します。
紀子さまは6歳までペンシルベニア州で過ごされ、1969年9月にはローズモント大学付属ローズモント・トゥリニティー・スクールに入園。
この間、通信教育を通じて自由学園幼児生活団を卒園されました。
1970年にはセント・メリーキンダー・ガーデンに通い、翌1971年にはヘンリー・C・リーエレメンタリースクールで本格的な学校生活をスタートされます。
1973年、お父さまが学習院大学助教授に就任されたことで、一家は日本へ帰国します。
紀子さまは静岡市立中田小学校に1年生として編入されましたが、同年9月に引っ越しがあり、新宿区立早稲田小学校へ転校。
その後、1975年には再び移住により豊島区立目白小学校へと転校されました。1976年には学習院初等科に編入。
翌年にはお父さまがオーストリアの国際応用システム分析研究所の主任研究員として招かれたため、再び海外へ。
1977年、紀子さまはウィーン郊外にあるアメリカン・インターナショナル・スクール・オブ・ヴィエンナの6年生に編入されました。
多文化的な環境の中で学ばれた経験により、英語のみならずドイツ語も日常会話レベルで習得されたといわれています。
1969年9月 | ローズモント大学付属ローズモント・トゥリニティー・スクール |
– | 自由学園幼児生活団(通信) |
1970年 | セント・メリーキンダー・ガーデン |
1971年 | ヘンリー・C・リーエレメンタリースクール |
1973年4月 | 静岡市立中田小学校 |
1973年9月 | 新宿区立早稲田小学校 編入 |
1975年 | 豊島区立目白小学校 編入 |
1976年 | 学習院初等科 編入 |
1977年 | アメリカン・インターナショナル・スクール・オブ・ヴィエンナ 編入(6年生) |
この段階で立派な学歴ですよね。中学校入学前で既にこれだけの学校に通って学習されてきていたのですね。
エリートの中のエリートです。
学習院中等部・高等部
1979年に日本へ帰国された紀子さまは、学習院女子中等科へ編入されました。
その後、学習院女子高等科へ進学されます。
高校時代の紀子さまは、学業に励まれる一方で、社会貢献活動にも積極的に参加されました。
例えば、募金活動に熱心に取り組まれるなど、その行動は周囲からも高く評価されていたといいます。
こういったご経験から、後の皇室活動にも通じる献身的な姿勢を培ったのかもしれませんね。
学習院大学文学部心理学科
高等科を卒業され、学習院大学文学部心理学科へ進学されました。
大学では心理学を専門的に学び、人間の心や行動の奥深さを探求されました。
学生生活では、学業の傍ら、さまざまなサークル活動にも積極的に参加されました。
自然文化研究会や心理研究会に所属し、専門知識を深めるだけでなく、手話サークルではコミュニケーションの多様性を学ばれたそうです。
学習院大学大学院人文科学研究科
紀子さまは学習院大学文学部心理学科での学びをさらに深め、卒業後は学習院大学大学院人文科学研究科へと進まれました。
そこで専門とされたのは、社会心理学です。
大学院では、社会心理学の視点から、社会や集団が個人に与える影響や、人間関係のダイナミクスについて深く研究を重ねられました。
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