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静かな存在感と圧倒的な演技力で多くのファンを魅了する木村多江さん。
そんな木村多江さんが実は「再婚」していたとの噂が浮上しているのをご存知でしょうか?
結論から言うと再婚ではなく初婚だったのですが、この噂の裏側が気になるところです。
この記事では、木村多江さんの結婚相手である鈴木文彦さんとの馴れ初め、二人の家族の姿、さらに彼女の結婚観に大きな影響を与えた家庭環境まで詳しくご紹介します。
目次
木村多江は再婚ではない!
木村多江さんが「再婚したのでは?」という噂が一部でささやかれているようですが、です。
2005年6月26日、木村多江さんが34歳のときに現在の夫である鈴木文彦さんと結婚しており、これが木村多江さんの初婚です。
鈴木文彦さんは広告業界の大手企業・電通に勤める一般の方で、名前が公表されているものの、詳細なプライベート情報は控えられています。
もちろん、その後に離婚もしていません。
では、なぜ「再婚」の噂が広まってしまったのでしょうか?これにはいくつかの理由が考えられます。
例えば、木村多江さんが結婚されたのは34歳のときであり、芸能人としては少し遅めの結婚タイミングだったことがあるかもしれません。
女性の30代半ばでの結婚となると、周囲の人々が「過去に一度、結婚歴があるのでは?」と勝手に想像を膨らませてしまうことも少なくありません。
また、木村多江さんが長らく芸能界で活躍しつつもプライベートを大々的に公表するタイプではないことも影響しているかもしれません。
情報が少ない分、憶測が先行してしまい、誤った噂が独り歩きしたと考えられます。
木村多江の結婚相手は鈴木文彦
木村多江さんが2005年に結婚したお相手は、広告業界の大手企業・電通に勤める鈴木文彦さんという方です。
木村多江さん曰く、純朴で温かい人だそうです。また「くまさんのような人」と語っていたこともあります。
はっきりしませんが、上記の画像が鈴木文彦さんではないかとネット上ではいわれていました。爽やかなイケメン男性ですね!
一般の方のため、詳細な個人情報は公表されていませんが、木村多江さんより2~3歳年上とされています。
木村多江さんが結婚した時期は34歳であり、落ち着いた年齢でのご結婚が印象的です。
鈴木文彦さんは山形県出身で、学歴については公式な発表はありませんが、慶應義塾大学または早稲田大学といった国内屈指の名門校を卒業しているのではないかと噂されています。
このような背景からも、鈴木文彦さんが非常に優秀な方であることが伺えますね。
電通の社員さん
木村多江さんの夫・鈴木文彦さんは一般の方ではありますが、電通で幹部を務めており、ビジネスプロデュース部の専任部長という重要な役職に就いておられたそうです。
入るだけでも難しい大企業で出世も出来たということは、数々のプロジェクトを成功に導いてきた実績があるのでしょうね。
エリート社員であること間違い無しです。年収は少なくとも1000~2000万円は超えているでしょうね(想像ですが)。
木村多江と旦那・鈴木文彦の馴れ初め
木村多江さんと旦那の鈴木文彦さんの馴れ初めはどんなものだったのでしょうか。
出会いは撮影現場
木村多江さんと鈴木文彦さんの出会いは、なんとCMの撮影現場だったんです。
鈴木文彦さんは、当時電通でトップセールスマンとして知られる人物で、撮影中の木村多江さんに一目惚れしたんだとか。
その瞬間、鈴木文彦さんは「この女性しかいない」と強く感じたそうです。
そんな鈴木文彦さんは、すぐに行動を起こしました。
木村多江さんのマネージャーに自分のことをアピールし、なんとか彼女と連絡を取ってもらえるようお願いしたそう。
その熱心さに心を動かされたマネージャーは、木村多江さんに「一度メールか電話をしてみたらどうですか?」と提案しました。
最初、木村多江さんは鈴木文彦さんに特別な感情はなかったものの、少しずつ連絡を取り合ううちに、次第に彼のことを気にするように。
でも、最初はあくまで「お友達から」という気持ちだった木村多江さん。
それでも鈴木文彦さんは諦めませんでした。
どんどん積極的にアプローチしていき、ある日、ついに自分の気持ちを伝えました。
木村多江さんは当初「お友達からで…」と軽く断ろうとしたのですが、意図していない言葉が口をついて出てしまいました。
その言葉は「私のような者でもよければ…」。
自分でも驚いたその一言が、二人の関係を大きく動かすきっかけになりました。
プロポーズ
プロポーズに関しては、公開されているエピソードが見つかりませんでした。
順調に交際期間を積み重ね、2005年に挙式を挙げているので、2004年頃にプロポーズをしたと思われます。
べた惚れ状態の鈴木文彦さんは、きっと木村多江さんが喜んでOKしてくれるような素敵なプロポーズをしたのでしょうね!
結婚後
結婚後も木村多江さんは女優業を継続しています。
「仕事と家庭の両立は簡単なことではないと思いますが、俳優としてもっと経験を積みたい」とコメントを残しています。
木村多江と旦那・鈴木文彦の結婚生活エピソード
木村多江さんと鈴木文彦さんの夫婦関係は非常に円満そうです。
鈴木文彦さんは、仕事で忙しいながらも、家事を進んで手伝ってくれる優しい夫だそう。
特に料理が得意で、木村多江さんが仕事で忙しいときには、彼女の健康を気にかけて手作りのお弁当を作ってくれることもあるとか。
最初は木村多江さんも、鈴木文彦さんの忙しさを理解していたため、何でも自分でやろうと決めていたそうです。
しかし、だんだんとその負担が大きくなり、つらくなっていきました。ある本を読んだことをきっかけに「人に頼んでもいいんだ」と気づいたそうです。
それからは夫だけではなく、時には義母に子育ての手伝いをお願いしたり、周りのサポートを受け入れるようになったんだとか。
そういった柔軟な姿勢も、夫婦の結婚生活を円満に保つ秘訣かもしれませんね。
木村多江と旦那・鈴木文彦には子供が1人
木村多江さんと鈴木文彦さんには子供が1人います。2008年2月に長女が誕生しています。
ただ、この妊娠&出産はかなりの危機だったそうで、木村多江さんは厳しい入院生活を強いられました。
切迫早産で危機
木村多江さんの妊娠生活は、決して順風満帆ではありませんでした。
妊娠が分かったのは、映画『ぐるりのこと。』(2008年)の撮影を終え、主演ドラマ『上海タイフーン』の撮影が始まった2007年のことでした。
その頃、木村多江さんは以前病気を患っており、医師からは「子どもを持つことは難しい」と言われていたため、妊娠の知らせは本当に嬉しかったそう。
ところが、妊娠後すぐに大量出血をしてしまい、切迫早産の危険性が浮上。
木村多江さんは、出産まで8ヶ月間も入院生活を送らざるを得なくなりました。
その間、他の仕事を断らなければならず、撮影を中止したことに深い罪悪感を抱えていました。
「撮影を止めてしまったことが本当に申し訳なくて、つらかったです」と振り返る木村多江さんは、当時、共演者たちに泣きながらお詫びの手紙を送ったそうです。
仕事の現場に迷惑をかけてしまったという思いと、妊娠を続けられるかどうかの不安が重なり、木村多江さんにとっては本当に辛い時期だったことでしょう。
それでも「絶対にこの命を誕生させる」という強い決意を持ちながら、困難な日々を乗り越えていきました。
産後も女優業をセーブし、鈴木文彦さんは家事や育児を全面的に引き受け、木村多江さんが仕事と育児を両立できるように支え続けました。
鈴木文彦さんのサポートがあったからこそ、木村多江さんは芸能界に復帰することができたのです。
まさに、頼れる旦那さんですね!夫婦の絆を伺い知ることができる素敵なエピソードです。
木村多江の結婚観・家族観形成には父親の影響あり
木村多江さんの家族観や結婚観は、父親から大きな影響を受けているようです。
父親は、液化天然ガスの備蓄設備の建設を行っている会社に勤めており、シンガポール駐在の初代所長としても活躍。木村多江さんは2歳半までシンガポールで過ごしていました。
父親は49歳という若さで急逝してしまいます。
その時、木村多江さんはまだ21歳で、突然の別れに深いショックを受けました。
「もっと一緒に過ごせばよかった」「もっと優しくしてあげればよかった」と10年間もの長い間、自分を責め続けたそうです。
けれども、時間が経つにつれて、木村多江さんは後悔しても何も変わらないことに気づきます。
そして、「反省しても後悔せず、父のことを教訓として胸に刻んで生きよう」と、心の中で決意を新たにしたと言います。
この経験が、木村多江さんの家族や人とのつながりを大切にする姿勢や温かな家庭を築くための原点になっているのではないでしょうか。
実家は金持ち→シングル家庭で苦労
木村多江さんが21歳の時、突然父親が49歳という若さで急逝し、家族の生活は一変しました。
それまでは父親のおかげで割と裕福な家庭で過ごし、お嬢様学校に通い、不自由ない日々を送っていた木村多江さん。
しかし父親の死後、家計は急激に厳しくなり、木村多江さんはアルバイトを掛け持ちして家計を支えていたそうです。
まだ女優として駆け出し状態で、女優1本でやっていけないレベルでした。
当時木村多江さんの弟はまだ学生で、家族の大黒柱であったお父さんがいなくなったことで、金銭的に非常に困窮することに。
木村多江さんは駆け出しの女優として忙しい日々を送りながらも、朝から晩まで3つのバイトを掛け持ちし、家族を支えるために懸命に働きました。
木村多江さんは振り返りながら「大変でしたね。当時弟はまだ学生だから、お金もかかるし、大黒柱がなくなるってのは、金銭的にはつらかった」と当時の状況を語ります。
そして「父を失って初めて、家族4人、何でもない暮らしが幸せだったんだ、と気づいた」と話しています。
こういった苦難を乗り越えた経験があったからこそ、木村多江さんの家族への愛情や責任感の強さが形作られたのではないかと想像します。
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