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戸塚純貴(とつかじゅんき)さんは、その明るいキャラクターと独特の存在感で愛される超人気俳優です。
今回は戸塚純貴の実家や家族について、そしてどのような生い立ちを経て芸能界に入ったのかを深掘りしていきます。
戸塚純貴さんの家族はどんな方々で、戸塚純貴さんが育った環境とはどのようなものだったのか、興味が尽きません!
目次
戸塚純貴の実家は岩手県のスナック?
戸塚純貴さんの母親は、岩手県でスナックを経営していたという話があるんです。
2016年にフジテレビの「指原カイワイズ」に出演した際、母親がVTRで登場しました。
その時の姿は、まさにスナックのママそのもので、出演者たちを驚かせていました。
残念ながら、現在はそのお店は閉めてしまったようですが、戸塚純貴さんによると、地元では戸塚純貴さんよりも母親の方が有名だとか。
戸塚純貴さんは「デビュー当時から母を超えたい」という気持ちを抱いており、母親は戸塚純貴さんの人生やキャリアに、大きな役割を果たしているのがわかります。
母親はとてもユーモアあふれる方で、家族との会話でも笑いが絶えなかったそうです。
この環境が戸塚さんがコメディや落語に興味を持つきっかけとなったのかもしれませんね。
戸塚純貴さんの人生において、母親の存在は本当に大きいようです。
戸塚純貴の実家の場所は岩手県盛岡市
戸塚純貴さんは、岩手県盛岡市で育った方です。
戸塚純貴さんは盛岡市立河南中学校の卒業生で、実家はその学区内に位置しています。
河南中学校は盛岡駅から車で約5分の距離にありますが、広い学区があるため、周辺は山の方まで広がっています。
残念ながら、戸塚純貴さんの実家の住所についての詳しい情報はあまり公開されていません。
しかし、戸塚純貴さんが上京後に新しい家を建てたため、家族は今は別の場所に住んでいるようです。
また、2024年4月中旬には実家に戻った様子があり、地元の川徳デパートの屋上での写真をSNSに投稿していました。
地元とのつながりを大切にしていることが伝わってきますね。
戸塚純貴の実家の家族構成
戸塚純貴さんの家族は、父親と母親、4人兄弟です。それぞれ詳しく見ていきます。
母親
戸塚純貴さんのお母さんは、非常に面白くユーモラスな方みたいです。戸塚純貴さんは、一番のライバルはお母さんだと語っています。
ブログでは、お母さんの教えについても触れており、その中でも「ちゃちゃはお前と違って文句一つ言わない」という言葉が特に印象に残っているのだとか。
愛犬の茶々丸をとっても溺愛しているのですね。
戸塚純貴さんは「もともと面白いことがしたかった」と語っていますが、母親の明るさに影響されていることは間違いないでしょう。
また、お母さんは「幸せとは感謝することができること」と教えてくれたそうで、この言葉が戸塚純貴さんの芸能活動にも影響を与えているようです。
父親
戸塚純貴さんのお父さんに関する情報は、お母さんに比べて少ないです。
戸塚純貴さんのブログによると、お父さんは透析治療を受けており、糖尿病や腎臓に関わる病気があると考えられます。
戸塚純貴さんとお父さんの関係が良好であることは、年末に家族で神社に参拝する恒例行事や、カレーを作って送ってくれるエピソードなどから感じ取れます。
戸塚純貴さんは毎年、お父さんとお母さんと一緒に神社に初詣に行くことを恒例としており、家族で大切に時間を過ごしている様子が見受けられます。
また、コロナ禍で実家に帰ることができなかった際も、お父さんが手作りのカレーを冷凍して送ってくれるというエピソードもあり、家族仲が良好であることが分かります。
残念ながら、お父さんの職業などの詳しい情報は明かされていません。
兄弟
戸塚純貴さんにはお兄さんがいます。
兄は2014年に自ら会社を立ち上げて、社長をしているそうです。どんな会社なのかまでは分かりませんでした。
具体的な仕事内容については明かされていませんが、戸塚純貴さんのブログで兄とのエピソードがたびたび登場しています。
兄弟で仕事や人生について深く語り合うこともあり、戸塚純貴さんはお兄さんの頑張りを見て「カッコイイ」と感じると語っています。
また、戸塚純貴さんが自動車やバイクに興味を持つきっかけもお兄さんの影響だったそうで、兄弟の間には良いライバル関係が築かれているようです。
戸塚純貴さんは、兄弟間で時折生まれる嫉妬や競争心についてもブログで触れており、それが互いを成長させる要因になっていると感じているのだとか。
兄弟同士の絆が強く、異なる仕事や生活を送っているものの、お互いに尊敬し合う素敵な関係であることが伺えますね。
戸塚純貴の生い立ちと芸能界に入るまで
戸塚純貴さんが芸能界に入るきっかけは、高校生の頃に遡ります。
戸塚純貴さんはもともと自動車整備士を目指しており、盛岡中央高等学校の自動車工学科に通っていました。
しかし、就職活動が思うように進まない中、戸塚純貴さんのお母さんが「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」に勝手に応募。
本人に相談することなく推薦したものの結果、戸塚純貴さんは見事に「理想の恋人賞」を受賞してしまいました。
最初は芸能活動に全く興味がなかった戸塚純貴さんですが、母親の後押しもあり、芸能界への道を進むことを決意します。
就活が上手くいっていないタイミングだったこともあり、「これも運だから、やってみたら?」という母親の勧めに乗ってみることにしたそうです。
2011年の盛岡中央高等学校卒業後、東日本大震災が発生しましたが、母の言葉を支えに上京し、俳優としての道を本格的に歩み始めました。
上京後すぐに、舞台「劇男JB」の旗揚げ公演に出演し、これをきっかけに芸能活動がスタートしています。
ちなみに母親は、18歳のジュノンボーイ応募の前にも、10歳でジャニーズに応募、3歳でミキハウス子役に応募しています。笑
周囲の人から「芸能人の顔」といわれていたことでその気になり、信じちゃって意識した、と母親は語っていましたが、母親の応募がなければ芸能界での活躍は無かったのですから、ありがたい話です。
ちなみにジャニーズも書類は通っていたものの、岩手から東京まで通うのは現実的でないことから断念、ミキハウスは間違えて違うブランドの服を着た写真を送ってしまってダメだったのだとか。
条件や環境がハマらず表に出てこなかったものの、やっぱり幼少期からポテンシャル自体は高かったことが分かります。
戸塚純貴が実家で過ごした学生時代
戸塚純貴さんは岩手県にある盛岡市立河南中学校に通っており、軟式野球部に所属していました。
中学時代には、隣の席のバレー部の女の子に告白して振られた経験もあり、その理由を知らずにモヤモヤしたまま卒業したと語っています。
青春時代の苦い思い出って、大人になっても残ってしまいますよね。
高校時代は、兄の影響で自動車整備士を目指し、盛岡中央高等学校の自動車工学科に進学しました。
戸塚純貴さんは「勉強は得意ではなかったが、自動車に関することならどんな難しい内容でも覚えられた」と振り返っています。
整備士として必要な資格も多数取得し、車やバイクをいじることは戸塚純貴さんにとって最高の楽しみでした。
高校生活では、部活動には所属せず、ほぼ男子しかいない環境の中で過ごしていたそうです。
「自動車工学科」となると、基本的には男子学生しかいないですよね。制服よりも作業服を着ていることが多かったそうで、あまり女子に自分から近づくこともできなかったのだとか。
「女子よりバイクが好きだ!」と自分に言い聞かせながら、理想の青春から目を背けてしまったことを今でも少しだけ後悔しているのだとか。
こんなにイケメンでも青春に後悔が残っている人もいるんですね。